東京地方裁判所 平成5年(ワ)12578号 判決
原告
岡田濃
原告
塚根元好
右原告ら両名訴訟代理人弁護士
大川隆司
被告
有限会社大島波浮港自動車教習所
右代表者代表取締役
白木玉之
右訴訟代理人弁護士
伊藤庄治
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用中、原告岡田濃に生じた費用及び被告に生じた費用の五分の三は原告岡田濃の負担とし、原告塚根元好に生じた費用及び被告に生じたその余の費用は原告塚根元好の負担とする。
事実及び理由
第一原告らの請求
被告は、原告岡田濃に対し、金一〇八三万八四〇〇円及びこれに対する平成五年一月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告塚根元好に対し、金七七四万一七〇〇円及びこれに対する平成五年一月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
第二事案の概要
本件は、被告会社の取締役であった原告らが在任当時被告会社の従業員を兼務していたとして、就業規則の一部である職員退職金規定に基づき被告会社に対し、それぞれ退職金及びこれに対する弁済期の翌日からの遅延損害金の支払を求めた事案である。
一 争いのない事実
1 被告会社は、自動車運転者の教習を主たる事業目的として昭和五三年一一月に設立され、昭和五四年二月一日、自動車教習所を開業した有限会社である。
2 原告らは、右設立以来、平成四年一二月二八日退任するまで被告会社の取締役として在任した。原告らの職務遂行の対価(この金員の性質については争いがあるが、以下では「報酬」という。)は、退任時点で、原告岡田につき月額七〇万円、原告塚根につき月額五〇万円であった。
3 被告会社では、従業員の退職金に関して、就業規則の附属規定として職員退職金規定(昭和五四年二月一日より実施)が定められている。
二 争点
原告らは、被告会社の従業員を兼務していたかどうか。
(原告らの主張)
原告らは、被告会社設立以来、被告会社に雇用される従業員兼務取締役であったところ、平成四年一二月二八日、被告会社を退職した。したがって、原告らは、元従業員として職員退職金規定に従い、次のとおりの退職金請求権を有する。
なお、その金額は、右規定により、退職時の基本給(月額)に所定支給率(原告らの場合、勤続年数一三年一一か月として一五・四八三三となる。)を乗じて計算される(一〇〇円未満切上げ)。
1 原告岡田 一〇八三万八四〇〇円
(計算式)700,000円×15.4833=10,838,310円
2 原告塚根 七七四万一七〇〇円
(計算式)500,000円×15.4833=7,741,650円
(被告会社の主張)
原告らは、被告会社設立以来、取締役であったものであり、従業員兼務取締役であったのではない。すなわち、原告岡田は取締役所長、原告塚根は取締役次長としてそれぞれ被告会社の経営、管理に従事していた。したがって、原告らは、従業員に適用される職員退職金規定に基づいて退職金を請求することはできない。
第三争点に対する判断
一 争いのない事実(〈証拠・人証略〉)及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。
1 原告らは、東京都大島町所在の伊豆大島自動車学校に勤務していたが(原告岡田は管理者兼所長であった。)、昭和五三年四月三〇日、右自動車学校を退職した。同じ時期に、右自動車学校の他の職員一一名も退職した。そして、退職者のうち原告らと柳瀬喜代平(以下「柳瀬」という。)が中心になって、他の退職者とともに自動車教習所を開設することを計画し、当時、町会議員、商工会役員を務め、大島交通安全協会長でもあった白木玉之(被告会社代表者・以下「白木」という。)にその協力を求めた。原告らと柳瀬は、その後、白木とともに警視庁運転免許本部(府中市所在)に出向いて担当者と相談したところ、担当者から白木に対して、原告らと柳瀬が自動車教習所の設置者となるのであれば、指定自動車教習所としての指定を得ることは無理であろうとの話があったことを知り、白木に設置者となることを要請した。しかし、白木は、それまで自動車教習所を経営した経験がなく、また、大島町に更に自動車教習所を開設しても営業が成り立たないと考えていたので、その話に乗り気ではなかったが、家族の者の説得もあって最終的にはこれを受け入れることにした。そして、白木は、自己所有の土地を教習所用地として賃貸してもよい旨を原告らと柳瀬に伝えたところ、同人らは、現地を確認の上、その提供を受けることにした。白木は、用地を貸与し、設置者としての名義を貸すだけで、経営に参画する意思はなかったが、原告らほか右退職者には教習用自動車の購入、教習コースの造営、事務所の建築等に充当し得るほどの資金はなく、結局、白木自身がその資金を捻出するほかはなかったため、国民金融公庫、農業協同組合や取引先から合計五〇〇〇万円の融資を受けるほか、自分の家族からも一〇〇〇万円近くを集めてその資金約六〇〇〇万円を準備した(なお、右金員は、後日被告会社の事業収入から全額返済されている。)。被告会社は、右退職者のうち原告らを含む一一名のほか、白木、同人の長男白木孝夫、白木の懇意の税理士山本良一(以下「山本」という。)が出資者となって、昭和五三年一一月一三日、設立された。その出資口数の内訳は、総数五〇〇口(一口の金額一万円)のうち、白木が二五〇口、原告ら及び柳瀬が各五〇口、その他の社員が各一〇口であった。初代の取締役には、原告岡田、原告塚根、柳瀬、白木及び白木孝夫が就任した。白木は、最大の出資者であったことから、代表取締役社長に就任し、原告岡田は教習所長(管理者)、原告塚根と柳瀬は次長(副管理者)として稼働することとなった。なお、監査役には山本が就任した。
2 被告会社は、昭和五四年二月、自動車教習所としての事業を開始し、二、三か月後には原告岡田が中心となって就業規則や職員退職金規定を整備した。被告会社は、同年九月七日、指定自動車教習所の指定を得た。昭和五五年ころには業績が順調に伸びたことから、役員の間で、報酬の額を明確に決めようという話が持ち上がった。その中で、原告らと柳瀬は、白木は被告会社の仕事を何もしていないのであるから、同人に対しては報酬を支給しなくてもよいのではないかという意見を出した。しかし、監査役の山本が、設立の際の白木の出資等の経緯から、右意見に反対したので、関係者の間で話し合った結果、報酬の比率につき原告岡田を一〇、白木を九、原告塚根を八、柳瀬を七とすることで合意が成立した。
3 原告らと柳瀬は、被告会社設立当時、資金面では出資金を提供したにとどまっていたため、その後、原告岡田が五〇万円を、柳瀬が一〇〇万円を被告会社にそれぞれ拠出した。そのほか、被告会社が金融機関から融資を受けるについて、原告岡田は、昭和五四年と昭和五五年に妻岡田良子所有の土地を担保として提供し、原告塚根は、昭和五四年と昭和五六年に自己所有の土地を担保として提供した。
4 柳瀬は、平成元年三月三一日、被告会社取締役を退任した。その際、被告会社は、柳瀬に対し、役員退職金規定に基づき、役員としての退職金を支給した。右役員退職金規定は、原告岡田が中心となって山本の協力を得て作成したもので、その退職金の支給額は職員退職金規定に準ずるものとされているが、設立時の役員についてはその二割増しとされている。
5 白木は、前記のとおり、被告会社設立以前には自動車教習所の経営に関与した経験がなかったため、車両の購入、人事、給与、賞与の決定など被告会社の経営全般については、その経験を有する原告岡田、原告塚根及び柳瀬の三名がこれを行い、白木は右三名が決定したことを事後的に承認するような形で経営に関与するにとどまった。実際にも、白木は、毎日午前七時三〇分ころに被告会社に出向き、三〇分くらい原告岡田と話す程度で退社していた。一方、原告らと柳瀬は、毎日、一般の職員よりも、早く出勤し、遅くまで勤務していた。
6 平成二年の報酬は、代表取締役白木が月額一〇〇万円、原告岡田が一一五万円、原告塚根が九五万円であったが、その後、被告会社の業績が悪化したため、まず役員報酬を減額すべきであるとの監査役山本の提言により、平成四年には、白木につき七五万円、原告岡田につき九五万円、原告塚根につき七〇万円と減額され、原告らの取締役退任時点では、白木につき六〇万円、原告岡田につき七〇万円、原告塚根につき五〇万円と減額された。
なお、原告らについては、他の一般職員とは異なり、時間外手当、職務手当、家族手当などの諸手当は一切なく、職務遂行の対価は役員報酬として支給される金員だけであり、また、雇用保険の適用もなく、税務上も役員としてのみ処理されていた。
二 右認定事実によると、原告らは、被告会社設立に向けて中心的な役割を果たし、設立後も被告会社の中心となってその経営、管理に当たってきたこと、原告らの職務遂行に対する報酬は、被告会社の業績悪化に伴って漸次減額されたこと、原告らには諸手当の支給や雇用保険の適用はなく、税務上も役員としてのみ取り扱われてきたことなどが明らかであり、これらの点を総合考慮すると、原告らが被告会社との間で使用従属関係があったということはできない。そうすると、原告らが取締役としての地位のほかに従業員としての地位を有していたとはいえない。すなわち、原告岡田は自動車教習所長、原告塚根は同次長の名称で、業務の一部を分担する常勤取締役としてそれぞれ稼働していたものというべきである。
三 まとめ
以上のとおり、原告らは、従業員を兼務しない取締役であったもので、従業員を対象とする職員退職金規定の適用はないから、原告らの請求はいずれも理由がない。
(裁判官 小佐田潔)